木造金剛力士立像
仁王門に向かって、右側が阿形像で、開口憤怒 、右手を下に、左手は後ろに曲げて金剛杵を握る。左側が吽形像で、閉口憤怒 し、右手は指を開き、前に出し、左手は腰に置き、拳を握る。大きく、力強く見開いた目、厚い胸板、筋肉が盛り上がった太い腕、力強く踏ん張った足と、堂々とした力士像である。
阿吽両像共に、天衣 をまとう。造像は、鎌倉時代初期運慶作と寺伝に残り、香川県下では最古の仁王像である。
阿吽両像共に、
木造薬師如来坐像
平安時代後期作とされる当山の本尊である。秘佛のため、普段は御前立ちの本尊しか拝観は出来ない。60年に一度の御開帳。直近では平成29年春に御開帳を行った。
本像は、上半身に大衣を偏袒右肩 にかけ、下半身には裳 を着けられ、右手を曲げ胸前で施無畏印 を結ぶ。左手は薬師如来の特徴でもある膝上に置き、薬壺 を乗せる。足は左を上にした結跏趺坐である。像高は84センチ、檜寄木造り で、頭・体が共木で、前後二材で割り、剥ぎ合わせ、内刳り がある。全体的にバランスが良く、県下に残る如来像の中でも優れている。弘法大師一刀三礼の作と寺伝にある。
当山本尊は、特に当病平癒・安産守護・良縁成就の霊験あらたかとされている。
本像は、上半身に大衣を
当山本尊は、特に当病平癒・安産守護・良縁成就の霊験あらたかとされている。
木造弘法大師坐像
本像は大師堂に安置されている真言宗祖弘法大師である。
像高は74㎝で、木造玉眼彩色であり、天台大師坐像と同じく建治2年(1276)大仏師佑慶の作であるということが、近年の調査にて判明した。左手は膝上で念珠をとり、右手は五鈷杵を持つ。像底部には、大仏師法橋佑慶/東大寺末流と記され、当山がかつて奈良県東大寺末であったことをより裏付けるものである。制作年代や作者を特定出来る弘法大師像としては「四国最古」とされる。
像高は74㎝で、木造玉眼彩色であり、天台大師坐像と同じく建治2年(1276)大仏師佑慶の作であるということが、近年の調査にて判明した。左手は膝上で念珠をとり、右手は五鈷杵を持つ。像底部には、大仏師法橋佑慶/東大寺末流と記され、当山がかつて奈良県東大寺末であったことをより裏付けるものである。制作年代や作者を特定出来る弘法大師像としては「四国最古」とされる。
木造天台大師坐像
縁起にもあるように、当山は古代から中世にかけて、真言宗二十四坊、天台宗十二坊を擁する大寺院であったと伝わり、現在でも真言・天台両大師堂が残る。
本堂に向かって右側の大師堂に祀られているのが天台大師である。法衣 を着け、袈裟をまとい、頭部には頭巾を被り、両手は腹前に置き、定印を結び趺坐した独特の像である。天台大師とは、智者大師とも呼ばれ、中国南北朝時代末期から、隋の世にかけて活躍された智顗 のことで、天台宗第三祖であり、実質開祖とされる。
像高は77.4センチ、檜の寄木造り、彫眼 、彩色の像である。また、背板の地付には、建治2年(1276)の銘があり、弘法大師坐像と共に大仏師佑慶の作とされる。
本堂に向かって右側の大師堂に祀られているのが天台大師である。
像高は77.4センチ、檜の寄木造り、
木造大興寺扁額
本扁額は中央に大きく「大興寺」と陽刻され、その周囲には約1センチ幅の縁、その外に猪の目形 を刳りぬき、額縁状に成型されている。檜を材料として、非常に重厚な造りを見せる。また、雄渾な書体は見事といえる。
裏面には、陰刻の銘があり、「文永四年丁卯七月二十二日丁未書之 従三位藤原朝臣経朝」とあることから、制作年代が判明した。経朝は、鎌倉時代中期の書家で、世尊寺家の第九世を継いだ人物と言われている。
裏面には、陰刻の銘があり、「文永四年丁卯七月二十二日丁未書之 従三位藤原朝臣経朝」とあることから、制作年代が判明した。経朝は、鎌倉時代中期の書家で、世尊寺家の第九世を継いだ人物と言われている。
大興寺のカヤ
樹高20m、胸高幹周3.92m。仁王門をくぐりすぐ右手にある。
寺伝には、当山ご来錫の折の大師の手による、とある。
寺伝には、当山ご来錫の折の大師の手による、とある。
大クス
樹高25m、幹囲6.7m。
大師お手植えと伝わり、カヤのすぐ上方にある。
大師お手植えと伝わり、カヤのすぐ上方にある。